大判例

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大阪高等裁判所 昭和58年(ラ)6号 決定 1983年2月28日

抗告人

大阪府

右代表者知事

岸昌

右代理人

前田利明

友添郁夫

右指定代理人

岡本冨美男外三名

相手方

山田順一

右代理人

大澤龍司

黒川勉

小山田貫爾

里見和夫

武村二三夫

福原哲晃

正木孝明

村田喬

主文

原決定を取消す。

相手方の本件検証物提示命令の申立を却下する。

検証物提示命令申立費用及び抗告費用は相手方の負担とする。

理由

一本件抗告の趣旨は主文第一、二項と同旨であり、抗告の理由は別紙(一)のとおりであり、これに対する相手方の意見は別紙(二)のとおりである。

二当裁判所の判断

1  記録によれば、本件訴訟は、相手方が公務執行妨害罪の容疑で現行犯逮捕された際、逮捕にあたつた大阪府西成警察署警察官から暴行を受け腰椎横突起骨折等の傷害を負わされたとして、大阪府に対し国家賠償法一条一項に基づき損害賠償を請求するものであるところ、本件検証物提示命令の申立は、右逮捕後間もなく同署が刑訴法二一八条二項に基づき申立人の顔面を撮影した被疑者写真の原板(ネガフィルム)を検証のため受訴裁判所に提出することを求めるものである。

2  そこで検討するに、検証物提示義務は、証人義務と同様の公法上の一般的協力義務であるから、わが国の裁判権に服する者である以上、検証物所持者は、正当な事由がないかぎり検証物を提示する義務を負うのは当然であるが、右提示義務についても民訴法二七二条の趣旨が類推適用されるものと解されるから、国又は地方公共団体並びにこれらの行政機関(以下官庁等という)が検証物を所持している場合には、国家公務員法一〇〇条三項、地方公務員法三四条三項の趣旨に照らして、官庁等は特別な事情のないかぎり検証物の提示を拒絶することはできないものと解すべきである。しかしながら、それを公表することが国家公共の福祉と利益を害するとか、あるいは公務の遂行を不能又は著しく困難にするとか、個人の利益を害することが余りに大きい等の場合は、右の特別の事情があるものとして、官庁等はその提示を拒絶することができるものといわなければならない。

本件提示命令申立にかかる写真原板(以下、本件ネガフィルムともいう)は、相手方が公務執行妨害被疑事件により逮捕されて間もない時間に西成警察署においてその顔面を撮影した被疑者写真の原板であるが、記録によれば右被疑事件については不起訴処分とされたことが明らかであるから、本件申立は不起訴事件の捜査記録の公開を求めるものでもあるということができる。

ところで、捜査記録の公開の可否、及びその範囲については現行法上明確な規定はないが、捜査の密行性に照らして捜査記録はその性質上みだりに公開されるべきでないことはいうまでもないところであつて、刑訴法一九六条が捜査関係者に対して被疑者その他の者の名誉を害しないように、且つ捜査の妨げとならないように注意を促しているのもその趣旨に基づくものである。

そうだとすれば、同条の精神に照らして、被告事件の記録の公開に関する同法四七条の趣旨を被疑事件及び不起訴事件記録に類推適用することが可能であり、且つ妥当であるところ、同条は、公判開廷前の訴訟書類の非公開の原則を定め、「公益上の必要その他の事由があつて、相当と認められる場合」は例外として公開しうる旨を定めている。

3 以上の諸点を勘案検討すると、結局、検証物の提示義務は公法上の一般的協力義務ではあるけれども、公益の必要その他特別の事情のあるときは免除されるものであると解されるのである。

そこで、これを本件について見るに、一件資料によれば、被疑者写真は、被疑者を逮捕した警察署において写真原板を作成し、右原板から特殊印画紙に密着焼付し所用事項を記入した被疑者写真票を作成し、原板、写真票とも警察本部に送付され、ここで、所定の基準に従つて分類整理して常時保管し、全国的な組織資料として、捜査の必要により全国の警察からの要求に応じて原板に基づき印画紙に焼付けて複製し広く犯罪捜査に活用されている鑑識基礎資料であり、右のような利用目的に照らして原板は常時警察本部に保管しておく必要のあるものであることが認められるのである。そうすると、右原板を保管庁外に持ち出すときは一般的な捜査活動を阻害する虞があるといわなければならないから、本件は公益の必要という特別の事情があるものとして、提示を拒みうる場合に該当すると判断するのが相当である。なお、私権を訴求する民事訴訟の当事者が自己の主張事実について行なう立証活動上の必要が果して公益上の必要といえるかは問題であるが、仮にこれを肯定するとしても、その度合は右に認定の提示を拒むべき公益上の必要の度合には及ばないとみなければならないから、相手方のなす立証活動上の必要をもつては右判断を左右するには足りない。そうすると、相手方のなした本件ネガフィルムそのものの提示命令を求める申立は失当であるといわねばならない。

三以上のとおりであるから、相手方の本件検証物提示命令の申立は却下すべきであり、これと判断を異にする原決定は不相当であつて本件抗告は理由がある。

よつて原決定を取消したうえ、本件ネガフィルムに対する検証物提示命令の申立を却下することとし、本件申立費用及び抗告費用を相手方に負担させることとして主文のとおり決定する。

(荻田健治郎 岨野悌介 渡邊雅文)

別紙(一)

即時抗告の理由

一 本件ネガフィルムの所持者は、抗告人ではなく、大阪府警察本部長である(被疑者写真取扱規則三条・四条)。

したがつて、被抗告人の本件申立ては理由がない。

二 検証物提示義務と職務上の秘密について

原決定は、「検証物提示義務は証人義務と同様の公法上の一般的協力義務であるから、検証物所持者は、正当な事由がないかぎり右提示を拒むことができないというべきところ、右提示義務は証人義務と同様の性質であるから、右提示義務についても民事訴訟法第二七二条の趣旨が類推され、検証物の提示によつて職務上の秘密を害する場合には、検証物所持者がその提出を拒む正当事由があるといえないではない。」と一応妥当な解釈をされているが、「本件では公務員個人に対して提示を求める場合ではない」とされ、抗告人大阪府のような地方公共団体には、民事訴訟法二七二条の趣旨の類推を否定されているようであるが、この解釈は誤つている。

そもそも同条の「職務上の秘密」とは、職務に関して知り得た事項で、これを公表することが公益を害する性質のものをいう。

これと関連する公務員の守秘義務は、国家公務員法一〇〇条、地方公務員法三四条等で規定されているが、地方公務員法の法意は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき公務員の根本的な服務義務から当然に生ずる義務であり、住民の信託を受けて公務の遂行にあたる公務員が住民個人の不利益となるような個人的秘密を発表したり、住民全体の不利益となるような公的秘密を発表したりすることは、公務の遂行を公務員に信託した住民の信頼を裏切ることになるからである。

この法意は、公務員個人が民事法廷に証人として出廷した場合にも、民事訴訟二七二条でもつて尊重されているのであるが、要は、公的秘密を公開することが問題とされるのであつて、その漏えい主体が、個人であれ、団体であれ問題とするところではない。

民事訴訟法二七二条は、証人義務の性質上、当然に自然人たる公務員個人を明記しているにすぎなく、同条の法意は、団体においても当然類推されるべきで、検証物提示義務における提示拒否の正当事由とされるべきである。

三 ネガフィルムは自己使用のために作成されたものである

本件ネガフィルムは、一般にフィルムそれ自体の証拠方法としての性質、したがつてまたそれが民事訴訟法三一二条の適用があるか否かについては問題のあるところであるが、被疑者写真は、刑事訴訟法二一八条二項を根拠として、被疑者を逮捕した警察署等において撮影し、その原板(ネガフィルム)は警察本部鑑識課に常時保管し、捜査の要求に応じ原板に基づき複製(印画紙に焼付け)、捜査目的に利用している。

被疑者写真制度とは、被疑者を撮影して写真票を作成し、これを全国的な組織資料として分類保管することによつて被疑者の割り出しや、写真による手配、モンタージュ写真の作成など犯罪捜査における個人識別のために利用され、犯罪捜査にひろく活用される鑑識基礎資料であつて、もつぱら検証物所持者(被疑者写真取扱規則三条・四条)の自己使用のために作成されるものであつて、同制度の趣旨から犯罪捜査以外の目的に使用することはとうてい考えられず、庁外に持出すことは、その性質上許されないものである(疎乙第一号証大阪高裁昭和五六年(ラ)第一〇一号、昭和五六年四月六日第四民事部決定、判例時報一〇一五号四三〜四四頁)。

四 刑事訴訟法四七条について

右四七条は、公判開廷前の訴訟書類は非公開を原則とし、「公益上の必要その他相当と認められる事由があつて、相当と認められる場合は」公開を許すと規定するのであるが、「相当」かどうかの決定権は、書類の保管者にあつて公開するか否かは保管者の自由裁量に属するものである。

五 本件ネガフィルムが「唯一の証拠」という点についての反論

不起訴記録を公開するに際しては、社会通念、条理、公平原則等に照らし、公開により損われる利益の重要性、これにより実現される利益の重要性の諸要素を考慮して決すべきであり、本件当時における原告の顔面の外傷の有無については、事件当時に原告と面接した警察官をはじめ、検察官、裁判官、拘置所の看守、医師その他の関係者が健在であり、同人らから外傷の有無につき真実の供述を得ることが十分期待できるのみならず、原告を特別公務員暴行陵虐致傷の告訴事件(不起訴)で告訴人として取調べた検察官が本件提示命令に係るネガフィルムからの陽画を原告に示した経緯があるという(昭和五七年一月一八日第二四回期日原告本人調書二一丁等)のであるから、当該写真について傷害の有無等の供述を得ることも可能である。

したがつて、本件ネガフィルムを証拠として利用しなければ、原告の顔面の傷害の立証ができないような状況にはないし、現実にも原告は同人らを証人として尋問することによりその立証をし、目的を達成することができるのである。

六 結語

よつて本件ネガフィルムの提示を命ずる原決定は、本件検証物に対する法的評価を誤り妥当を欠いたものであるから、速やかに却下されるべきである。

別紙(二)

一、即時抗告状の即時抗告の理由二について

原決定は、検証物提示義務を公法上の一般的協力義務であるから、検証物所持者は正当な事由がない限り、右提示を拒むことができない、とした。この原決定の判断自体は、抗告人も争うところではない。

抗告人は、民事訴訟法第二七二条の法意は団体においても当然類推されるべきであり、検証物提示義務における提示拒否の正当事由とされるべき旨主張する。しかし、原決定が指摘する「提示の対象は刑事々件の捜査記録であつて刑事記録の公開については刑事訴訟法が規定するところであるから、右の提示を拒否できる正当事由があるか否かは専ら同法の規定によつて定まるというべきである」との点については、抗告人は何ら反論を加えていない。抗告人は、原審では刑事訴訟法第四七条を根拠として公開できない旨主張していた(被告の昭和五七年一〇月一八日付意見書二項)、抗告審では、突如として民事訴訟法第二七二条のみを持ち出している。このような抗告人の場当たり的な主張の変遷自体が、その主張の根拠のないことを示すものである。

二、同じく三について

抗告人は、本件ネガフィルムは自己使用のために作成された旨主張する。しかし、仮にそうであつたとしても、この自己使用のための作成と、検証物提示の拒否の正当事由とは論理上何ら関連がない。抗告人の引用する裁判例は、いずれも民事訴訟法第三一二条三号の文書に関するものであり、検証物提示については全く関係がない。

三、公益上の必要

本件ネガフィルム提出の必要性につき、原決定理由3の説くところは極めて正当である。抗告人は、警察官・検察官らから相手方の顔面の外傷の有無につき真実の供述を得ることが充分期待できるとする。この相手方の顔面への暴行及び写真に写つた外傷の存在については、相手方が詳細に公判で証言している。しかし、谷重彦警察官は本件暴行を全く否定し、逮捕直後原告を連行した警察官青戸芳治は、顔面にも外傷がなかつたと供述している(第一三回一一〜一二丁)。本件では、正にこれら警察官証人の供述の信憑性が問われているのである。本件ネガフィルムは、右逮捕に近接した時間に撮影されたものであるから、相手方の顔面に対する暴行を客観的に明らかにする証拠として極めて重要である。

民事訴訟上の真実発見のための必要が、公益上の必要に含まれることは論を待たない。抗告人は、本件ネガフィルムを裁判所に検証物として提示するについての支障を全く明らかにしていない。相手方についての不利益は、相手方が提示を求めている以上、考慮する必要がないのは当然である。抗告人において右の支障があるとするならば、それは唯一、真実が民事訴訟の場で明らかになることのみであろう。抗告人において、本件ネガフィルムを検証物として提示することを拒みうる正当事由は何ら存しない。原決定は正当であり、本件抗告は速やかに却下されるべきである。

<参考・第一審決定理由>

一 申立<省略>

二 当裁判所の判断

1 本件記録によれば、被告が別紙(一)目録記載のネガフィルム(以下「本件ネガフィルム」という)を所持していることを認めることができる。

2 被告は、本件ネガフィルムは捜査資料であるから捜査上の秘密に属するのでこれを提出できないと主張し、その根拠法条として刑事訴訟法第一九六条、地方公務員法第三四条を挙げ、また、右捜査にかかる被疑事件は不起訴処分となつたため、本件ネガフィルムは不起訴記録として提出しえないとし、その根拠法条に刑事訴訟法第四七条を主張する。

そこで案ずるに、検証物提示義務は証人義務と同様の公法上の一般的協力義務であるから、検証物所持者は、正当な事由がないかぎり右提示を拒むことができないというべきところ、右提示義務は証人義務と同様の性質であるから、右提示義務についても民事訴訟法第二七二条の趣旨が類推され、検証物の提示によつて職務上の秘密を害する場合には、検証物所持者がその提出を拒む正当事由があるといえないではない。しかし、本件では公務員個人に対して提示を求める場合ではないうえ、提示の対象は刑事事件の捜査記録であつて、刑事記録の公開については刑事訴訟法が規定するところであるから、右の提示を拒否できる正当事由があるか否かは専ら同法の規定によつて定まるというべきである。

そして、本件ネガフィルムは、原告が逮捕された後に刑事訴訟法第二一八条第二項により撮影された原告の顔写真のネガフィルムであり、右逮捕にかかる被疑事件については不起訴処分とされたものであるから、右ネガフィルムの公開の可否については、同法第四七条によるところである。同条は公判開廷前の訴訟書類の非公開の原則を定めるが、「公益上の必要その他の事由があつて、相当と認められる場合は」、公開しうるとする。本件は民事訴訟における一当事者からの提示命令の申立にかかる場合であるが、右申立権は法が裁判の真実主義を貫くために付与した権利であるから、民事訴訟上の必要であつても右にいう公益上の必要というを妨げないというべきである。

3 そこで、本件ネガフィルム提出の必要があるか否かを検討するに、本件訴訟は、原告が昭和五二年一月二五日被告の職員である警察官谷重彦ほか一名に公務執行妨害罪の嫌疑で現行犯逮捕されたが、その際、右警察官らから暴行され、第二ないし第四腰椎左横突起骨折等の傷害を受けたとして損害賠償を請求する事案であるところ、既に取調済の医師の回答書等には右逮捕に続く留置期間中には原告が右傷害を受けていたとの記載があり、原告は、右逮捕時の状況について、右警察官らから腰部のほか、顔面等も革靴で数回蹴られ、負傷したと供述し、谷重彦は右暴行を一切否定する供述をなしており、右現場に居合わせた者としては谷重彦の同僚警察官以外にないうえ、本件ネガフィルムは右逮捕に近接した時間に撮影されたもので右顔面に対する暴行の有無を客観的に明らかにしうる唯一の証拠ということができる。そうであれば、本件ネガフィルム提出の必要性は極めて大きいものがある。

そして、本件ネガフィルムは原告の顔を撮影したものであるから、これを公開することによる不利益は原告について考えられるものの、提出を求めるのが原告自身であるからこれを考慮する必要はなく、また、右公開することによる捜査上の支障は全く認められない。

以上によれば、本件は刑事訴訟法第四七条にいう「公益上の必要その他の事由があつて、相当と認められる場合」に該当するというべきであつて、被告が右提出を拒みうる正当な事由はないといわなければならない。

4 よつて、原告の本件申立を正当と認め、主文のとおり決定する。

別紙(一)

目録

昭和五二年一月二五日午後六時頃、大阪市西成区萩之茶屋二丁目四番二号大阪府警察西成警察署北側路上において、同府警察警察官谷重彦が申立人を公務執行妨害の容疑で現行犯逮捕した後、同署警察官が刑事訴訟法第二一八条第二項に基づき撮影した申立人の顔写真のネガフィルム。

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